政治的とは何か

前回の記事に続いて、政治的とは何かを書いてみる。

wannabefree.hatenablog.com

政治的という言葉が示唆するニュアンス

まずググってみた。

kotobank.jp

政治に関するさま。「政治的な問題」
理屈の上だけでなく、現実に即して判断するさま。「政治的な解決」
駆け引きが巧みになされるさま。「政治的な手腕がある」

ミュージシャンの政治的な発言、といった場合の意味は1だろう。

「政治に関するさま。」

分からない。

「政治」とは何か。

やはりググってみた。

政治 - Wikipedia

辞典・事典類は次のように解説している。 広辞苑では「人間集団における秩序の形成と解体をめぐって、人が他者に対して、また他者と共に行う営み。権力政策支配自治にかかわる現象。」としている[1]大辞泉では「1. 主権者が、領土・人民を治めること。2. ある社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決定を行い、これを実現する作用。」としている。

広辞苑の説明がわりと端的だったので、さらに辞書を調べてみた。

kotobank.jp

政治とは何か、あるいは政治とは何を意味するかという問いに対する解答は、観察者、研究者のもっている経験や問題意識によって異なる。さらにまた政治ということばそれ自体がもっている語源的な意味に影響される面がある。

(中略)

今日では、政治を「集団の政策(意思)決定過程」とみる見方、あるいはそれに類した規定の仕方が一般的に行われている。 

 「集団の政策(意思)決定過程」という見方で書かれているのが先の広辞苑の説明だろう。

ところで、政治を政策(意思)決定という角度からみる場合、そこに当然「権力」の問題が関連してくる。なぜなら「権力」はラスウェルによれば、「意思決定への参加」にほかならないからである。この面からいえば、「政治」は「権力過程」であり、また「権力関係」という流動的な状況を抜きにしては考えられない。決定作成過程に参加し影響力を行使するには、暴力行使や利益誘導、さらには理性的説得から宣伝やシンボル操作に至るまで種々の方法がある。 

政治には権力の問題がつきまとう。

集団の政策や意思の決定過程に影響力を行使するために色々な手段があるが、それらを行なうための力が必要である。

「政治的」という言葉には、権力による影響力を行使されているというニュアンスが含まれているように思える。

なぜフジロックが政治的と言われるのか

フジロックが政治的だと騒がれるのは、集団の意思決定過程に影響力を及ぼそうとしていると感じ取った人が多いからではないか。

フジロックという場を使って私たちの意思決定に影響を及ぼそうとしている、と暗黙的に感じ取ったから反応が起こったのではないか。

自分は、SEALDsが集団の意思決定に大きな影響を及ぼせる存在だと思っていない。

しかし、今回の反応はSEALDsが集団の意思決定に大きな影響を与えうるという危惧を市民(ある特定の人々かも知れないが、それなりに多くの人(報道によって自分がそう思っているだけかもしれないが))が持っていることが証明されたものだといえるかもしれない。

SEALDsを招く以上、フジロックには政治的意図(意思決定にある方向で(あるいはその逆からの観点も見せることでその議論のトピックへの意識づけという形で)の影響を与えようという意図)があると解釈できるだろう。

政治的意図を持つことは何も間違いではない。

これ(フジロックが政治的意図を持つことではなく、政治的意図の「意図」自体)に反発してフジロックへの出演を取りやめるアーティストが出てもおかしくないのにそういう人はいないんだなと思う。

アーティストがどう解釈するかも自由であって、些末な問題だと考えているのだろうけれど(自分もその解釈を支持する)。