ICO

www.cryptostream.jp

これ↑を読んでいて、ICOというのがわからなかったので調べた。

www.houdoukyoku.jp

initial coin offering という言葉の略。

会社が、株式を発行して資金を集めるのではなく、

独自のコインを発行して資金を集める方法とのこと。

出資者は仮想通貨で出資する。

世界中から資金(仮想通貨)を集められる。

jp.techcrunch.com

この盛り上がりを背景に、世界に先駆けて仮想通貨法(改正資金決済法)を成立させた日本ならではのICOソリューションが登場する。仮想通貨取引所Zaifを運営し、プライベートブロックチェーン技術mijinを開発するテックビューロが8月3日に発表した「COMSA」だ。3種類のパブリックブロックチェーンに対応する点、システム技術としてプライベートブロックチェーンを利用する点、日本の仮想通貨法による法的根拠を売り物とする。

法整備がスムーズに行なわれてそれを迅速に売りにできるのは日本とは思えない状況で感服する。

BitcoinはNetscape NavigatorとかYahoo!ぽい

なんとなく。

もっと問題解決に対して効率のいいものがあとから現れて取って代わるんじゃないか、という気がする。

IEじゃなくてGoogleに取って代わられてほしいけど。

尿酸値を下げるには

なんか尿酸値が高くなってたので調べた

プリン体じゃなかった!尿酸値を下げる秘策SP - NHK ガッテン!

  1. 痩せろ
  2. 牛乳飲め
  3. 野菜食え
  4. 酒控えろ

太ってるとインシュリンが余る。

インシュリンは尿酸の排泄を邪魔する。

痩せろ。

乳製品は尿酸の排泄を助ける。

豆乳は効果無し。

牛乳飲め。

野菜は尿酸の排泄を助ける。

野菜食え。

アルコールは尿酸の作る。

酒控えろ。

 

こういう時NHKの情報は正しいように思えてしまう。

NAVERにまとめられててもホントかよって感じだ。

編集に対する説明責任があるのは大事だ。

 

ビットコインの売り時

売り時間違えたな〜

ああいうニュースからの上がる、というのが予測できなかった。

予測するための情報を集められなかった。

投機・投資というのは情報戦なのだという学びを身体的に得た。

英語で情報収集できる人が強そう。

さらに中国語できるとより強そう。

少し英語をやる気になった。

(いつも通り三日坊主の予感しかない)

教祖誕生: Creepy Nuts(R-指定&DJ松永)

最近名を上げてきたCreepy Nuts(R-指定&DJ松永)の教祖誕生。

冒頭がキングギドラのスタア誕生でやたら懐かしかった。

教祖誕生の冒頭は、「教祖誕生 無感情な商売繁盛」。

スタア誕生の冒頭は「スタア誕生 無感情な商売繁盛」。

フローもk-dub風で完全インスパイア。

いいですね。

Re:なんで勉強するのか

自分が子供を持てるかどうか知らないが、子供を持って同じような質問をされた時に困らないように考えを整理しておこうと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20170204225930 の記事を見ての感想である。

こういうことを考える機会を与えてくれたことを感謝したい。

論理的な話ができていて、頭のいい娘さんだと思った。

娘さん(この言葉を復用するのは違和感があるので今後「彼女」と書く)が「なんで勉強するのか」と質問したときの「勉強」というのは学校での勉強のことでないかと思う。

増田が追記でも書いているが、「学問」ではなく「勉強」のことだろう。

彼女が「学問」をどう認識しているかは分からないが、中学2年生であれば学校での勉強、彼女からすれば学校から強いられる勉強の話をしている可能性の方が「学問」の話をしている可能性より高い。

以下、彼女が「なんで学校で強いられる勉強をする必要があるのか」と聞きたかったという前提で考えを整理する。

学校での勉強は、国のためであり自分のためのものである。

学校での勉強は、将来の日本国を作るために必要なものである。

だからこそ、学校での勉強では、来るべき時代に日本国で生きていくために必要な知識と選択肢を得られる。

学校によって差があるにせよ(例えば慶應をエスカレーターする人々は結構な逸脱かもしれない)、基本的にはこういうスキームだ。

学校での勉強は、将来の日本国を作るために必要なものである。

小学校・中学校・高等学校の勉強は基本的に学習指導要領に沿ったもので、学習指導要領は文部科学大臣の要請の元に中央教育審議会が策定する。

学習指導要領は日本政府としてこの国をどうしていきたいか、そのためにどういう人材が必要か、という観点で策定される(と期待する)。

こういう理由で作られた学習指導要領に沿った学校での勉強というのは日本国にとって有用と期待される人材をつくるためのものである(小学校・中学校・高等学校だけでそれがつくられるわけではないが)。

学校での勉強では、来るべき時代に日本国で生きていくために必要な知識と選択肢を得られる。

上に書いたような理由で学校での勉強は日本国にとって有用と期待される人材を作るためのものなので、その勉強をしておくことは未来の日本で生き抜く(稼ぐだけでなく、社会で生活する)ための知識を得るための効果的な手段となる。

学習指導要領が未来を予言するのかといえばそうではないが、政府の中枢でこの国をつくる人が策定するのだからそうではない人が作るものよりも確率が高い。

別の明確な指針がないのであればこれに沿っておくのは有益だ。

学校での勉強は社会を生き抜くにあたって効率的であり、非効率的である。

学校での勉強は来るべき社会を生き抜くためのカタログのようなものだ。

何を選べばいいか、あるいはもっといい選択肢を知っているのであればそのカタログを一から見ていくのは非効率だ。

何を選べばいいか分からないし他の選択肢も知らないのであればカタログを一から見ていくのが相対的に効率的な可能性が高い。

生を肯定するのであれば社会を生き抜く必要がある。

「社会を生き抜く」というフレーズを何回か使ったので説明しておく。

死なずに満足に暮らしていく、程度の意味で、どれだけ稼いでも稼がなくても、結婚しても結婚しなくても、仕事していてもしていなくても、自分が自分を承認して他人をできるだけ傷つけず生きていくことを表現しているつもりである。

「生き抜く」だけではなく、「社会を」、と付けているのは、人間社会で生きる前提でなければ学校での勉強は必要ないからである(人間社会とは何か、という議論もあるかもしれないが今は食指が動かないので整理しない)。

こうしたら社会を生き抜けるのではないか、という仮説を持ったら試してみたらいい。

学生はカタログを一から見ていくが、その中からこれで社会を生き抜けそう・生き抜きたいというものを見つけたり、カタログ外から何か見つけたら試してみればいい。

それがその人にとって社会を生き抜けない選択肢である可能性はあるが、今やりたいなら今やればいい。

いつかは行なう選択なのだからやりたいときがその時だし、選択に迷うのであればその経験も素晴らしい。

学校での勉強では社会を生き抜くための知識と選択肢を学べるが、あなたは他の選択肢で社会を生き抜くことになるかもしれない。

将来の我が子に今用意した言葉はこれだ。

しかし、国のくだりを説明するのは例えば小学生相手であれば難しいのかもしれない。

その時がきたら、あるいはこないかもしれないが、その時考えることにしよう。

付録

学問は好きだからやる(やってしまう)勉強である。

子供が宇宙が好きで好きでずっと図鑑を読んでいたり、虫が好きで好きでずっと捕まえに行っていたりするとき、これは学問である。

歴史が好きで好きで文献を読み漁って論文を書いてしまったり、化学反応が好きで好きで実験で新しい発見をしてしまったりするとき、これは学問である。

これは思いつきである。

学校での勉強以外の選択肢を見つけるには読書したくなる環境をつくる。

古今東西の良書を物理で集めて一室をつくり、ここで読書する習慣を幼いときからつけておく。

良書は学習指導要領に優ると考えているので、ここに引きこもるのもよい。

もし子供ができたらやりたいことだが、これは思いつきである。

学校での勉強は、将来の日本国を作るために必要なものである、と書いたが、「学校」が今のような形で存続し続ける必要があるかについては別の可能性がありそうだ。

海外に良い学校があるから通信教育させる、ということが一般になるかもしれない。

そこにビジネスチャンスがあるかもしれない(規制が色々ありそうだが)。

これは思いつきである。

政治的とは何か

前回の記事に続いて、政治的とは何かを書いてみる。

wannabefree.hatenablog.com

政治的という言葉が示唆するニュアンス

まずググってみた。

kotobank.jp

政治に関するさま。「政治的な問題」
理屈の上だけでなく、現実に即して判断するさま。「政治的な解決」
駆け引きが巧みになされるさま。「政治的な手腕がある」

ミュージシャンの政治的な発言、といった場合の意味は1だろう。

「政治に関するさま。」

分からない。

「政治」とは何か。

やはりググってみた。

政治 - Wikipedia

辞典・事典類は次のように解説している。 広辞苑では「人間集団における秩序の形成と解体をめぐって、人が他者に対して、また他者と共に行う営み。権力政策支配自治にかかわる現象。」としている[1]大辞泉では「1. 主権者が、領土・人民を治めること。2. ある社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決定を行い、これを実現する作用。」としている。

広辞苑の説明がわりと端的だったので、さらに辞書を調べてみた。

kotobank.jp

政治とは何か、あるいは政治とは何を意味するかという問いに対する解答は、観察者、研究者のもっている経験や問題意識によって異なる。さらにまた政治ということばそれ自体がもっている語源的な意味に影響される面がある。

(中略)

今日では、政治を「集団の政策(意思)決定過程」とみる見方、あるいはそれに類した規定の仕方が一般的に行われている。 

 「集団の政策(意思)決定過程」という見方で書かれているのが先の広辞苑の説明だろう。

ところで、政治を政策(意思)決定という角度からみる場合、そこに当然「権力」の問題が関連してくる。なぜなら「権力」はラスウェルによれば、「意思決定への参加」にほかならないからである。この面からいえば、「政治」は「権力過程」であり、また「権力関係」という流動的な状況を抜きにしては考えられない。決定作成過程に参加し影響力を行使するには、暴力行使や利益誘導、さらには理性的説得から宣伝やシンボル操作に至るまで種々の方法がある。 

政治には権力の問題がつきまとう。

集団の政策や意思の決定過程に影響力を行使するために色々な手段があるが、それらを行なうための力が必要である。

「政治的」という言葉には、権力による影響力を行使されているというニュアンスが含まれているように思える。

なぜフジロックが政治的と言われるのか

フジロックが政治的だと騒がれるのは、集団の意思決定過程に影響力を及ぼそうとしていると感じ取った人が多いからではないか。

フジロックという場を使って私たちの意思決定に影響を及ぼそうとしている、と暗黙的に感じ取ったから反応が起こったのではないか。

自分は、SEALDsが集団の意思決定に大きな影響を及ぼせる存在だと思っていない。

しかし、今回の反応はSEALDsが集団の意思決定に大きな影響を与えうるという危惧を市民(ある特定の人々かも知れないが、それなりに多くの人(報道によって自分がそう思っているだけかもしれないが))が持っていることが証明されたものだといえるかもしれない。

SEALDsを招く以上、フジロックには政治的意図(意思決定にある方向で(あるいはその逆からの観点も見せることでその議論のトピックへの意識づけという形で)の影響を与えようという意図)があると解釈できるだろう。

政治的意図を持つことは何も間違いではない。

これ(フジロックが政治的意図を持つことではなく、政治的意図の「意図」自体)に反発してフジロックへの出演を取りやめるアーティストが出てもおかしくないのにそういう人はいないんだなと思う。

アーティストがどう解釈するかも自由であって、些末な問題だと考えているのだろうけれど(自分もその解釈を支持する)。